【雑感】愛せるものを持つこと
【雑感】
私は俗に言う障害者なんだけれども、もう32だし、特に自分の病気について不満を持ったりイライラしたり憤怒する事も無くなったよ。それまでは大変な人間だったけどね。
イライラしていた時代に関わった人たちはさぞ迷惑だっただろう。ごめんなさいね…(ハナホジ)
若い頃ってのは、ほとんどの人は自分というものがよく解ってないと思う。(稀に自分が何たるかを理解し、才能を素早く開花させている人たちもいるけれど、アタマの造りとか育ちの環境とかが違うんだね。きっと。スゴイなあ。)
だから、もちろん自分の病気の事についてもほとんど解らないし、周りに説明できない。
にも関わらず、周りの大人たちは「自分の事なんだからハッキリしなさい!」と言う。無理でしょ。
そう、病気なんて実の親にもまったく理解してもらえないのだ。
理解してもらえない→説明できない→相手がイライラする→劣等感→理解してもらえない→説明………
よほどホトケのような親に恵まれた人じゃないと、若い時の病気ってのは凄まじい劣等感という悪玉を生み出し続けてガッチリと根付いてしまう。
私も随分と苦しんだ。
病気でツライのは病気ではない。「病気である自分」なのだ。
私は病気を憎んでいたし、隙あらばブッ千切って捨てて踏み潰してメチョンメチョンにしてやろうと思っていた。お前さえ居なければ私はもっと元気で、みんなと同じように何処にでも行けて走って跳んで楽しく生きれたのに、と。
でもね、気付いたんですよ。そんなふうに病気ばかり見て、睨んで、ちっとも楽しくない。その行為自体が人生無駄にしていると。病気に振り回されて結局負けてるじゃないか、と。
だから辞めたんです。病気を敵視する事を。出来る限り無視してやるぞと。
何かペットか何かだと思うことにした。自分の身体の中に居る、ペット。言うこと聞かない生き物。
もちろんすぐに辞める事はできなかった。他人と自分の出来る出来ないを比べたり、イライラして。
それでも、徐々に、徐々に。
今では病気による劣等感はほぼ消滅した気がします。歳も歳だから当たり前なのかもしれないけど。気付けて良かったなあって。
ボーカロイドに出逢えたことも大きかったと思う。
ミクやKAITOやメルリに会えて、愛せるものも増えた。自分が作る物も、自分自身も、在って良いんだと、思えるようになりました。