とあるアイデンティティの崩壊
ツイッターに書くにはくどすぎる話だ。
ここに書こう。
私はずっとずっと元気になりたい、元気でありたいと思って生きてきた。
病気が既にアイデンティティになってしまうほど病んでいた。
でも、それはもう限界なのかもしれない。
崩壊したのかもしれない。
調子の悪い時、「調子悪い」と言うとものすごく惨めな気持ちになって、周囲からどんな反応が返ってきても傷付いた。
蔑むような目。
イラついた態度。
普段は元気で体格も良く他の健常者と変わらない、そしてそういう自分しか見られたくないという臆病さと異常な強がりが見事に裏目に出て誰からも信用してもらえていないと感じていた。
最近は調子の悪い時は「調子www悪いwwww」みたいに白状することが多い。
笑いながら言えば多少は普段の自分と具合の悪い自分がグラデーションの位置でいられる。
そうすれば相手もたぶん笑って大丈夫?って言ってくれるし。
しかしそんな芸当ができるようになったのは明らかにネットで出会った優しい人たちのおかげだろうと思う。
世界は広かった。
それは親が常に横に居た時代にはできなかった事だ。
普通に真面目な感じで訴えたって這ってでも学校へ行け!と罵倒するような人だったので、大人しく泣きながら引きこもるしかなかった。
笑いながら言うことなんてまるで思い付かなかった。
私は感情を溜めに溜めて、まだ大丈夫だと思いながら自分でも気付かないうちに爆発寸前までへらへら笑っているようなところがあるが、やがて限界に達すると溜まった怒りや不安不満が涙となって噴出してくる。
まあそれでもそのまま何も出ずに鬱になったりする人よりはマシなのかもしれない。
とにかく、感情の出し方がよくわからない。
それはやっぱりそうやって、言ったところで信用してもらえない、引きこもって寝るしかなかったという生活が長い間続いたからだろうな。
(小学3年の時の手術以降だと思うから、高校卒業までの約9年間ぐらいか…)
そういうのが解ってるから、一気に噴き出して大切な人を失わないように、今はどんな小さなわだかまりもちゃんと言おう書こうと思っている。
さすがに全部は出せていないと思うけど。
元気になりたい、元気でありたい、なんて、もう思わなくても良いのかもしれない。
調子悪いって言っても、一緒に居てくれる人たちがいる。
笑って大丈夫?と言ってくれる人がいる。
みんな優しい。
優しいのだ。
そのままの自分で良いのかな。
具合悪くて良いのかな。
病気のままでいいんだな。
メッキが剥げた感じで、このまま全部剥がれたら良いなと思う。
私も優しくなりたいのだ。