人は足りないものがあると努力できる
お金が無い、健康が無い、自由が無い、時間が無い。
人は何かしら足りないものである。
私には生まれた時から健康な身体が無かったから元気になるために人一倍悩んで、人一倍努力している。(これは常に現在進行形で、終わることもないだろう。)
同じように、幼少の頃に家庭が貧しかったりした人は、お金を儲けるために人一倍努力をしているだろう。
だから貧乏から成功した芸能人の話とかよく聞く。
これはべつに自然なことだ。
そういう積み重なった努力を無視して、現在見えている「あの人」を羨ましがったりするのは愚かなことだ。
「あの人、健康的で明るくて、何も悩みが無さそう。羨ましい。」
「あの人、大成功してみんなからチヤホヤされてるし、お金持ちだし、羨ましい。」
そう思うのであれば、自分も努力すれば良いと思う。
悩んでばかりの日々でも、「どうせ私は……」と思って毎日同じことを繰り返していては何も変わらない。
(たとえそんなふうだとしても心配は要らない。
人生、生きていれば強制的に変わらざるを得ない時がやって来る。
あなたがたとえ寝てばかりいたとしても、周りは常に動いて変化している。周りが変化すれば当然自分も変わらなければいけない。
少なくとも、生きていくためには。)
とにかく、足りないものが人を動かす。
「どうせ私は……」と言ってふて寝するより、「私には◯◯が足りないから◯◯を努力しよう。」と何かしら動くほうがいい。
そういう意味では、人間、足りない部分があったほうが良いのだ。
足りないものだらけだったとしても、今思い悩んでいるということはとりあえず生きられる分だけのパーツは揃っているということだから、動くのには支障は無いと思う。
また、身体が動かせなくても、思考は動かせるものだ。
病院で寝たきりで八方塞がりだとしても、「退院したら美味しいラーメン食べよう」とか、良いことはいくらでも考えられる。
そして治ることに全霊を捧げる。
足りないものがあったら、むしろ感謝すべきかもしれない。
足りないもののない、始めから今まで充足している人間など、好きになれないよ。